ブランド :
ブログスウォッチグループはスイスのビールに本拠地を置く、世界最大の時計グループ会社。なんと160以上の独立した事業組織と30か国以上の現地法人を統括しているという超巨大グループ会社です。
この巨大組織は、スイスやドイツを代表する18のブランドからなる時計宝飾ブランド部門、グループ内のブランドの製造を受け持つ製造部門やシステム部門などで構成されています。製造部門においては、グループ内だけでなくグループ外の多くのブランドにパーツやムーブメントを供給し高い評価を受けています。ムーブメント会社の大手『ETA社』もスウォッチグループであり製造部門で、大きな武器となっています。
日本では、スウォッチグループの創業者名のついた『 ニコラス・G・ハイエック センター 』がグループ会社を象徴する建物として銀座に設立されています。
スォッチグループ ジャパンで展開されているブランドは全部で12あり、その12のブランドが4つのカテゴリー(プレステージ&ラグジュアリーレンンジ、ハイレンジ、ミドルレンジ、ベージックレンジ)に分けられて展開されています。
時計界の『レオナルドダヴィンチ』と称されている天才時計師であったアブラアン・ブレゲ(1747~1823年)が1775年にパリで創立した時計メーカー。現在の時計に使用されている機構の4分の3は発明したものや改良されたものと言われています。ブレゲ針やギヨシェ文字盤もブレゲの作り上げたものです。
ブレゲは世界5大時計ブランドと称されています。
(ブレゲの他は、パテック・フィリップ、バセロン・コンスタンチン、オーデマ・ピゲ、A.ランゲ・アンド・ゾーネ)
創業者の死後はいくつかの会社に売却されたりと紆余曲折ありましたが1999年にスウォッチグループの傘下に入り業績が回復し現在に至ります。
丸く穴の開いた針が特徴の『ブレゲ針』は1783年に考案、ギヨシェ文字盤は1786年に考案され現在のブレゲの時計にもなくてはならないデザインとなっています。ギヨシェ文字盤はブレゲ以外にも採用されていますが、ブレゲのギヨシェ文字盤はなんと・・・手作業で作り上げているものです。熟練した職人の技が見事に発揮された高級感あふれる文字盤です。
1735年に創業された、世界最古の時計メーカー。一族経営が200年に渡り続いたメーカーです。
1970年代に起きた『クォーツショック』によりブランパンは一時休眠状態に追い込まれるほどとなりましたが、その後復活。1992年にスウォッチグループの傘下となりました。
クォーツショックからスイスの時計業界が立ち直った立役者と言われているのが、ジャン・クロード・ビバー氏です。オメガにいたビバー氏は経営不振にあったブランパンを1983年に2万2000フランで買収し見事復活、機械式時計の復興を先導します。その後ウブロにも関わり人気ブランドに育て上げます。2014年からはLVMHグループの時計部門で指揮を執っていました。現在は一線を退きアドバイザー的職務を担っています。
クォーツショックは、日本のセイコーがクォーツ時計を1969年に発明したことで起こりました。それまでの時計は機械式時計があたりまえであったため、セイコーが開発したクォーツムーブメントは時計界に衝撃を与えます。低コスト、高精度、強度があると機械式時計よりクォーツ時計が主流になってしまいスイスの時計メーカーが窮地に追い込まれました。このクォーツショックは15年ほど続きました。
ドイツのグラスヒュッテに時計工房を1845年に創業。グラスヒュッテはスイスと並び時計の産地として発展しこの地で作られる時計は高性能な時計として認知されていました。ドイツは世界恐慌や2度の世界大戦などを経験し、時計工房などは国営化されるなど受難な時期もありましたが1990年代には民営化され、グラスヒュッテ・オリジナルが誕生、マニュファクチュールとして自社一貫製造を担っています。
2000年からスウォッチグループの傘下として高品質な時計を発売し続けています。
ジャケドローは、1738年 スイスに創業。創業者ピエール ジェケ・ドローは時計史上初めてジュネーブに時計工房を構えた人物です。
ジェケ・ドローは時計のムーブメントに音楽機構やオートマタ(からくり人形)を組み合わせるなど、個性的で独創的なものを創り上げ富裕層などから注目を集め繁栄していきます。積極的にヨーロッパや中国などにも売り込み発展していきます。しかし、1789年にフランス革命により深刻な経営状況に陥り長きに渡り休眠状態となってしまいます。その後、1996年に復興に向けての動きがあり、2000年よりスウォッチグループの傘下に入りました。
どの時計メーカーも、紆余曲折の歴史物語があり今に至っているのですね・・・。
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